真 島

真島地区の見どころガイド

平安時代にできた『延喜格式』の中にある官設牧場大室の牧の一部であるといわれている。 真島という地名は、馬島から出ているといわれているが、美島(うましま)すなわち、よい島から出た名であろうと も考えられている。



ホワイトリング

ホワイトリング (ほわいとりんぐ)

 ~ 長野オリンピック・スケート会場 (長野市真島総合スポーツアリーナ) ~

 長野冬季オリンピックの競技施設として平成9年(1997年)真島地区にホワイトリングが建設されました。朝露に輝く「水滴」をイメージしてデザインされたメインアリーナは地上3階建て、約66m×約41mのアリーナ面積を有し観客席約5,000席の多目的スポーツ施設としてサブアリーナ、テニスコート、トレーニングルームも併設、現在も多くの市民に親しまれています。
 1998年2月、オリンピック期間中は、フィギュアスケート、ショートトラックスピード競技会場として賑わった。このオリンピック開催にあたり、競技会場を結ぶ周辺道路整備が進み真島地区はかつての純農村地帯の様相を大きくかえつつあります。

参考URL:ホワイトリングホームページ


南より正面を望む

五輪マーク

正面のオブジェ

千曲川から望む飯綱山



長野地方卸売市場 (ながのちほうおろしうりしじょう)

  ~ 100万商圏人口の台所をまかなう卸売市場 ~

 敷地面積20haと全国でも最大規模といわれる民設民営の総合卸売市場が、昭和63年(1988年)に開設されたこの市場は、青果物および水産物を主に、長野市を中核とした近隣商圏100万人の台所をまかなう広大な卸売市場。
 場内には79社もの企業があるが、その自主的な環境活動は国内外から注目され高い評価を受けている。今後も「日本一美しい市場」を目指し、ごみの減量・循環型リサイクル事業に日々取組んでいます。
 また、市場内には「式内清水神社発祥之地跡」の石碑が建立され、ながの市場福祉センターは一般の方も低価格で利用できる多目的施設が併設されています。
 

参考URL:長野地方卸売市場ホームページ
    :ながの市場福祉センター
    :ながのエコ・サークルへの取組み


西口案内板

新鮮な水産物が並ぶ

日本一きれいな市場

トラックが全国から

ながの市場福祉センター



清水神社

清水神社 (しみずじんじゃ)

 ~ 延喜式に載る古い神社 ~

 祭神は広国押武金日命。蔵王権現宮と称し水の宮沖小字清水(前渕)に鎮座し、真島村の産土神として崇敬されていた。その後、犀川大洪水によって社地を流失し、堀之内(蔵王沖)に移転した。寛政9年(1797年)現社号に改称し、真島6組(前渕・北村東西・四ツ橋・梵天東西・堀之内・中真島)の治水の神として崇敬されてきた。ホワイトリングの北に位置している。現在も秋の祭礼当日には、真島6組が太神楽を奉納している。


鳥居

長い参道と松並木

神殿



南より正面を望む

本道の句碑 (ほんどうのくひ)

 ~ 詩情豊かな句碑の里 ~

 本道組には、金山神社境内の芭蕉句碑「古池や蛙飛び込む水の音」をはじめ、地元俳人の句碑が家人や門弟らによって屋敷地に多く建てられている。「庵の戸や草花越しに帆の見ゆる」吉田慶雲、「月出でて一筋白し千曲川」小山一峰、「水は澄み影は声して秋は来ぬ」小山栄峰らの句碑。


荘厳な句碑が並ぶ

バス通りに接する



源八桑

源八桑 (げんはちぐわ)

 ~ 県指定天然記念物・樹齢150年の古木 ~

 県の天然記念物に指定されている「真島のクワ」は、土地の人びとから「源八グワ」と呼ばれ、所有者中澤源嘉家の祖先の源八という人が植えたものだという。この桑の木は、根元から3本の枝に分かれ、そのうち細い2本はすでに弱っているが、主幹は旺盛である。高さ約8m、根回り3.8mで、樹齢はおよそ150年と推定される。


旺盛な桑の木

案内板と祠



 

真島氏居館跡

 

 真島氏居館跡 (ましましきょかんあと)

 ~ 栄昌寺の寺城 ~

 所在地真島町堀之内。栄昌寺は大永3年(1523年)馬島右衛門尉が居館の一隅に薬師如来堂を建てたことを創立とする。中世に馬島(真島)氏は諏訪神社の頭役などを勤仕し、川中島地方の有力な氏人であった。川中島合戦後、真島氏は上杉景勝の家臣となって会津に移住した。その後真島氏縁故の吉田源左衛門の手によって、再建され栄昌寺と改称した。堀跡は寺域をとり囲んで通っている道路敷となった。

 


栄昌寺本堂



「おん流れ」 (おんながれ)

 ~ 大洪水のときの流路跡 ~

 蔵王北沖に「おん流れ」と呼ばれる微低地がある。宝永2年(1705年)の大洪水は、梵天浦沖の堤防を押し破り、濁流は本流となって耕土を押し流した。蔵王北沖の「おん流れ」は、このとき流れた流路跡につけられた呼び名であるという。その後、犀川の瀑溢した濁流は、このときできた流路跡を流れるようになった。

 


犀川方面を望む

西方上流側



川合神社

川合神社 (かわいじんじゃ)

 ~ 神主さんが歌人で寺子屋のお師匠さん ~

 祭神は建御名方命・事代主命。川合宮島にあったが社地が流失したため遷座し、文化14年(1817年)現在地に社殿を再建した。この神社の神官宮沢真澄は和歌を好み、能書家で、歌道では近隣に名を知られていた。川合神社境内に子弟が建てた筆塚には、万葉仮名で表記された「世の中に神の教へのあればこそ人の行ふ道正しけれ」の和歌が刻まれている。

 


鳥居

北は五輪道路が

静かな境内